「子どものため」に何かすることってよくありますよね。
よくある、というか毎分毎秒「子どものため」を思って行動していることでしょう。
しかしちょっと待ってほしいのです。
「子どものため」にしていることが、実は「あなた(親)のため」になっている可能性があるんです!!
そんなことなるわけないやん!
落ち着いて!本当に「子どものため」か確認していこう!
溢れ出る子どもへの思い
子どもを育てていると、たくさんの教えたいことや身に付けさせたいことやこうなってほしいという願いが出てきますよね。
子どもに教えたいことと・身に付けてほしいこといえば
- 学力
- コミュニケーション能力
- 行動力
- 好奇心
- 判断力
- 社会性
- 協調性
- 情熱
- 粘り強さ
子どもへの願いといえば
- 健康で過ごして欲しい
- 友達をたくさん作ってほしい
- 好きなことに打ち込んでほしい
- 大学に行ってほしい
- 安定した企業に就職してほしい
- 結婚してほしい
- 子どもをつくってほしい
- 幸せになってほしい
待って待って無限に出てくるやん
ここに挙げたことなんてほんの一例にすぎませんよね。
たくさんの教えたいことや願いがありますが、まとめるとこうなるのではないでしょうか。
「幸せになってほしい」
この一文を叶えるために、たくさんの教育を行います。
子どもが幸せだと自分で思えるようになるためにはたった1つのことを身に着けさせるだけでOKです。
それは”自立”です。
「幸せになってほしい」は子どもが”自立”することで叶う
親はいつまでも子どもの面倒を見ることができません。
いつかは独り立ちし、自分の力で生きていってもらわなければなりません。
子どもに幸せになってもらうためには、子どもが自分の力だけで生きていくことになった時に、「自らの幸せ」のために行動してもらう必要があります。
つまり”自立”が必要です。
しかし世の大人の多くは「経済的な自立」しかできておらず「精神的な自立」ができていないことが非常に多いです。
「経済的な自立」と「精神的な自立」がそろってはじめて『ほんとうの”自立”』が果たせます。
『ほんとうの”自立”』ができていると「自分の幸せ」のために行動できるようになります。
まとめると、子どもが『ほんとうの”自立”』をすることで親の願いである「幸せになってほしい」が叶うということです。
ここから先は『ほんとうの”自立』のことをシンプルに”自立”と呼ぶことにします。
『ほんとうの”自立”』とは何か?については下記の記事で説明しています。
親が「子どものため」にしていること
普段親が「子どものため」にどんなことをしているでしょうか?
- 「勉強しなさい」と言う
- 褒める
- 叱る
例えばこの3つはよく出てくると思います。
これらは子どもを”自立”から遠ざける場合があります。
「勉強しなさい」と言う
その瞬間だけ勉強させることはできても、あくまでその場でだけの勉強になってしまいます。
自分から進んで勉強するようにならないと、勉強したことも身につきません。
”自立”させるためには基本的に「~しなさい」は禁句です。
言われないと行動できないのではいつまでたっても”自立”できません。
褒める
褒められる方は嬉しいものです。
褒めてもらえたら達成感が湧き、また褒めてもらえるように頑張ろうと思います。
ただし、子どもによっては落とし穴になる可能性があります。
「また褒めてもらえるように」←これが落とし穴です。
たとえば頑張ったのに褒めてもらえなかったらどうなるでしょうか?
不満を抱きますよね。
するとどうなるでしょうか?
「頑張っても褒めてくれないから、頑張らなくていいや」というマインドに移ります。
つまり「褒めてもらうために行動していた」ということです。
褒めてくれる人がいなければ、頑張らなくなったり、サボったりしてしまうようになります。
相手からの評価によって行動が変わるのは”自立”ではありません。
褒めることはやる気を引き出したり、自己肯定感を高めたりメリットがたくさんある反面、適切なタイミングで適切な熱量で褒めないと落とし穴にはまる可能性があることはしっかり頭に入れておきましょう!
叱る
叱るのも適切なタイミングで適切な叱り方をしなければ、しつけにもならない上に”自立”からも遠ざかってしまいます。
「褒め」と同じで「叱られないように行動する」可能性があることに加えて、力で支配することから子どもが自己表現を控えるようになっていきます。
”自立”とは全く反対の方向に進んでいってしまいます。
このように普段何気なく「子どものため」にしている行動が”自立”から遠ざけている可能性があるのです。
なんでそうなっちゃうの?
それは「親自身のため」だからかもしれないよ
「子どものため」は「親のため」
「子どものため」にしているはずの行動がなぜ「親のため」になるのか。
実は心の奥に「責任を取りたくない」という思いが隠れている可能性があるからです。
責任は強く持ってるやろ!
「最後の最後の責任」ではなくてもっと表面的な「責任」のことだよ
ちょっと何言ってるかわかんない
ここでいう「責任」とは子どもが犯罪を犯したり、ケガをしたときなど、無条件に「守る」必要がある場面での責任ではありません。
子ども自身の能動的な冒険心や道徳観についての親の「責任」の事です。
先ほどの例のように、親は「子どものため」に教育をしていますが、実際は「子どものため」になっていない場合があります。
なぜそのようなことが起こるのでしょうか?
親が子どもを自分のコントロールできる状態にしておきたいからです。
親は子どもに対していかなる責任も負わなければなりません。
どんなことであれ、子どもが失敗したとき、親は責任を問われます。
冒険心や道徳観でさえもです。
アイドルになりたい。YouTuberになりたい。海外で暮らしたい。同性と暮らしたい。
子どもが欲望に従って行動して失敗したり、行動自体が常識はずれなことだった場合、
「親の育て方が悪かったんじゃない?」と心無い言葉で親の責任を問われる可能性があります。
また子どもが夢を追いかけて失敗したとき、親はいつまでも「経済的な援助」を続けなければならない可能性もあります。
子どもの責任は親の責任ってやつ?
そういうことになるね。
子どもを”自立”させることは親自身もこのような「責任」の数々を負うことを意味します。
どうすればそのような責任から逃れることができるか。
子どもに冒険させず、危険から遠ざけ、安全で無難な道を歩かせることです。
そのために子どもを可能な限りコントロールすることです。
それは他ならない「親のため」です。
親が子どもに勉強をさせているのも、中には「点数の取れない子どもを持つことが恥ずかしいから」という深層心理が働いていたりするものです。
このページを見ている方は教育意識が高い方なので、当てはまらないと思いますが、世の中にはそういう親が少なからずいます。
「子どものため」といいながら実際は「親自身のため」にあれこれ指導しているのなら、思いが伝わらないのも当然ですよね。
これは親だけに言えることではなく、教育する立場にある人全員に言えることです。
会社であれば「君のためを思って言っているんだよ」という都合の良いセリフを耳にしたことがありませんか?
大概は「本人のため」ではなく「会社のため」もっと言えば「上司のため」なのを正当化するためだけの発言ですよね。
教育者はみんな誰のための言動かを常に意識する必要があります。
今行っている教育が、ほんとうに「子どものため」かどうか、「親のため」になっていないか再確認したいですね!
「親のため」にならないようにするコツ
「親のため」の教育にならないようにするためのコツは次の3つです。
- 子どもに決断の機会を与えること
- 子どもの決断を尊重すること
- 子どもの決断を援助すること
この3つを意識することで「子どものため」の教育を行うことができます。
これを繰り返し経験していく中で子どもは”自立”していきます。
とにかく「子どもの決断」を優先させることです。
そうすることで「親のため」の言動は抑えられていきます。
まとめ
「子どものため」と思ってしていたことが「親のため」だったということが起こりうることが分かっていただけたと思います。
子どもだけでなく、大人の社会でも「君のため」と言いながら相手のことを考えていない場面が多々あります。
これらは深く考えると責任から逃れるためです。
他ならない我が子のために、”自立”を身に着けてもらうために、親の保身は捨てて「子どものため」の教育ができるように今日から変えていきたいですね!